『脳も診るが、全身も診る』、この基本理念の元、
25年の急性期医療で培った経験と最新の画像診断機器、検査機器を駆使し、
クリニックでも、総合病院の救命救急センター と同等の医療を提供することを目指します。
院長 矢野 賢一
出身は九州の長崎市になります。
長崎大好きの私が、縁もゆかりもなかった浜松に大学医局からの派遣で赴任し、浜松の温暖な気候と人々のおおらかさに魅了され、浜松に定住することとなり20年が過ぎました。
大学のころから、急性期医療に興味がありましたが、その当時は救急科というものは一般的ではなく、長崎大学で救急医療を主に担っていた脳神経外科を選択しました。
脳神経外科では、医者としてのイロハ・姿勢から始まり、脳だけでなく、脊髄や末梢神経を含めた神経全般の診断、様々な手術・手技を叩き込まれました。
脳神経外科での10年の修行の後、脳神経外科をベースに救命救急センターでさらに15年修行してきました。
聖隷三方原病院の救命救急センターでは軽症から重症まで様々な疾患の診断、全身管理、さらにドクターヘリを始めとする病院前診療、また東日本大震災をはじめとする災害医療など多岐にわたって経験、習得してきました。
高齢化がさらに進んだ昨今、疾患は単一臓器だけではくくれないほど複雑化しているように思えます。
また日本の医療自体も各診療科の細分化が進み、各臓器のスペシャリストはいますが、病気全体を俯瞰的にみるジェネラリストは圧倒的に不足しているようです。
医者人生の後半はこれまでの経験をもとに、神経の専門としての脳神経外科と全身を診るジェネラリストとしての救急科とを両輪として、私を育ててくれた急性期医療に恩返しをするべく、ここ浜松市西区雄踏町に開院しました。
地域の皆様が、どんな疾患でも、どんな訴えでも気軽に安心して受診でき、適切な初期診断、適切な治療、周辺の医療機関との連携(適切な高次医療機関との連携など)を享受でき、皆様の健康維持に貢献出来るようなクリニックにしたいと思っております。
学生時代は下手の横好きでサッカーをやっていました。
脳外科のころまでは、院内のサッカーチームでやっていましたが、なかなか上達はできず。。
30台になり、山と釣りに目覚め、山のためのランニングを開始
今では遅咲きの山男を自負しています。
休みがあると、天気図を見て、山が呼んでいれば山へ。
山が呼んでいなければ、海へ。
山も海も呼んでくれないときは、走るか、セミプロ級と自認しているDIYへ。
常に動いていないと落ち着かない性格です。
1996年 | 長崎大学医学部 卒業 |
1996年 | 長崎医療センター 脳神経外科 |
1997年 | 長崎 十善会病院 脳神経外科 |
1998年 | 長崎労災病院 脳神経外科 |
1999年 | 浜松医療センター 脳神経外科 |
2006年 | 聖隷三方原病院 高度救命救急センター |
2020年 | 聖隷三方原病院 救急科 部長 |
日本脳神経外科学会 | 専門医 |
日本救急医学会 | 専門医 |
日本航空医療学会 | 認定指導者・評議員 |
日本DMAT | 統括DMAT登録隊員 |
日本脳神経外科学会 |
日本脳神経外科コングレス |
日本救急医学会 |
日本航空医療学会 |
日本災害医学会 |
日本臨床救急医学会 |